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揺れる東南アジア、再び日本を見つめるカンボジア人材

政局不安、国境紛争、そして韓国事件がもたらした“潮目の変化”

1.万華鏡のように変化する東南アジアの人材市場

東南アジアの人材市場は、まるで万華鏡のようだ。

一つの外的要因が生まれただけで、全体の色が一瞬にして変わる。経済政策、為替、治安、近隣国との関係――それらが複雑に絡み合い、労働力の流れを左右する。

そんななかで、いまカンボジアの若者たちのまなざしが、再び日本へと向かい始めている。
この潮目の変化は、偶然ではない。

地政学的な緊張と社会不安、そして他国での事件が連鎖的に作用し、“日本回帰”という新たな流れを生みつつある。

2. 政局不安が若者を外へと向かわせる

カンボジアは近年、政治的にも経済的にも不安定さを増している。

長らく続いたフン・セン政権から、息子のフン・マネット首相へと政権が移ったが、国内では依然として権力構造の硬直や腐敗、物価上昇などが続いている。

若者たちは「このままでは先が見えない」と感じ、国外での就労を希望する声が急増しているという。

技能実習・特定技能の送り出しを行う3TS社日本部門の中井和彦氏は、現地の空気をこう語る。

「最近、国内の政局不安から海外就労への関心が高まっています。その中で、日本も有力な選択肢として再浮上しているんです」

数年前までは、円安と制度の複雑さから「日本は条件が厳しいし、稼げない」という声が主流だった。

しかし、いまはむしろ“外に出たい”という力が勝っている。

働き先を選ぶよりも、「外で働くこと」そのものが希望になっているのだ。

3. タイ国境紛争が招いた60万人の帰国

2025年7月、タイとカンボジアの国境で軍事衝突が起きた。
小競り合いは瞬く間に拡大し、民間人を含む30人以上が犠牲となった。

この衝突の影響で、タイ国内で働いていた約60万人のカンボジア人労働者が強制的に帰国を余儀なくされた。カンボジア政府は緊急の再雇用支援を行い、十数万人が国内で再就職したが、いまも40万人近くが失業状態にある。

もともとタイは、カンボジア人にとって「最も現実的で安定した出稼ぎ先」だった。

距離が近く、言語もある程度通じ、ビザ取得も比較的容易。だが、国境が不安定化すれば、その安全神話は一気に崩れる。

「これまで“近くて安全”だったタイが、いまや最も不安定な選択肢になった」

と中井氏は語る。

この事件を境に、カンボジア国内では“外へ出たい”という感情が再び強まり、「ならば次は日本か」という空気が広がり始めた。

4. 韓国への不信と“安全志向”の高まり

追い打ちとなったのが、同年10月に起きた韓国人学生の拉致・殺害事件だ。

カンボジア国内で韓国人が詐欺組織に巻き込まれ、韓国政府は事件直後、一部地域への渡航禁止令を発出した。韓国社会ではカンボジアに対する警戒感が高まり、両国間に微妙な緊張が生まれた。

この出来事は、カンボジア側にも別の形で影響をもたらした。
事件以降、韓国企業や仲介機関がカンボジア人材の受入れに慎重になるケースが増え、審査や手続きがこれまで以上に厳格になっているという。

送り出し機関の現場でも、「韓国側の採用が減りそうだ」「しばらく様子を見たいという企業が増えている」といった声が聞かれるようになった。

カンボジアでは出稼ぎを決める際、本人よりも家族の意向が強く働く。

韓国側の警戒強化を報じるニュースが続いたことで、「今後、韓国で働くのは難しくなるのではないか」という現実的な見方が広がり、韓国行きを見送る若者も増え始めている。

「韓国は人気国でしたが、最近は敬遠する動きが出ています。代わりに“安全で真面目に働ける国”として日本が再注目されている」(中井氏)

こうした韓国側の姿勢変化が、結果としてカンボジアにおける“日本回帰”を静かに後押ししている。

5. 日本の受入れ環境が整いつつある

一方、日本の受入れ側にも、静かな変化が起きている。

建設、農業、介護など、現場の人手不足は依然として深刻だ。政府は育成就労制度と特定技能制度を二本柱として整備し、受入れのルールを明確化しつつある。

かつて「日本は制度が複雑で、送り出すのが大変」と言われていたが、いまでは送り出し機関の中でも“日本案件は安定している”という評価が広まりつつある。

受入れ企業にとっても、外国人材が“単なる労働力”ではなく、職場のリーダー候補として成長する仕組みが整いつつある。

中井氏はこう強調する。

「いまのカンボジアでは、安定した職を求めて外に出たいという力が強まっています。
日本で働く意欲は確実に戻りつつあります」

6. インドネシアの「急成長」と「ほころび」

人材送り出し国の主役は、いまやベトナムからインドネシアに移りつつある。

人口も多く、教育水準も高い。

だが、中井氏は「すべてがうまくいっているわけではない」と指摘する。

「インドネシア人材は確かに数が多いですが、職種によっては相性が悪い分野もあります。
とくに農業は、カンボジア人の方が真面目で地道に取り組む傾向が強いんです」

インドネシアが有力国として台頭する一方、カンボジア人の堅実さや勤勉さが静かに再評価されている。

“数のインドネシア、質のカンボジア”という構図が、いま現場で少しずつ広がっているのだ。

7. 「日本回帰」の兆しを一過性で終わらせないために

もちろん、日本の受入れ条件が劇的に改善されたわけではない。

日本語の習得、試験の合格、生活への適応――課題は山積している。

それでも、「安全」「安定」「信頼」という日本の3つの価値は、東南アジアの混乱の中で再び輝きを放ち始めている。

現地では、育成就労制度を見据えた新たな準備も始まっている。
日本語教育の強化、実習生フォロー体制の見直し、オンライン教育の導入など、送り出し機関も新たな挑戦を始めている。

一方で、日本の企業側に問われているのは、“受け入れる覚悟”だ。

技能実習から特定技能、そして育成就労へ――。
制度が整っても、現場の受け入れ姿勢が変わらなければ意味がない。

カンボジアの若者が安心して働ける環境を整えることが、次の信頼の基盤となる。

為替、治安、政策――東南アジアの人材マーケットは、そうした外的要因で日々表情を変える。いまカンボジアで見え始めた“日本回帰”の兆しを、一過性の波で終わらせてはならない。

8. 彼らのまなざしに応えるために

再び日本を見つめ始めたカンボジアの若者たち。

彼らの多くは、貧困から抜け出すためだけでなく、「自分の力を試したい」「家族に誇れる人生を送りたい」という願いを抱いている。

そのまなざしに、私たちはどう応えるか。
賃金だけでなく、安心して暮らせる住環境、キャリアアップの機会、そして“人として認められる”職場づくり。

それこそが、これからの国際人材受入れの本質ではないだろうか。

外的要因で動く市場の中で、
「信頼でつながる国」としての日本を取り戻せるかどうか――。

その分岐点に、私たちは立っている。

(※このコラムは、ビル新聞2025年12月8・22日合併号掲載「変わる潮目、再び日本を見つめるカンボジア人材」Vol.72を加筆転載したものです。)

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